9/28から30日まで、沖縄に行ってきました。もちろん、遊びではありません。
弊社のお得意先のDKさんの仕事のためです。
3月に続いて、今年2度目の訪沖になります。いい天気に恵まれ、気温もそんなに高くなく
(と言うよりは、本土の方が例年より高かったために)快適な出張でした。
ただ、残念なのは高速料金が「無料」でなくなっていたこと。
仕事を無事に終え、最終日の飛行機の時間が遅かったため、
時間が余り、ふと、糸満市に行きたくなり、車を走らせました。
仕事の関係で立ち寄る先が、那覇だったり、沖縄市や名護市なので、
南部には行ったことがありませんでした。しかし、南部が太平洋戦争沖縄戦の日本側の
激戦地で、多くの人が命を落としたところであることは以前から興味と知識がありました。
確か日本側の死者は約19万人に上り、そのうちの半数が民間人だったという事実。
中でも「ひめゆり学徒隊」の話は、涙なしでは語れません。
当時、沖縄を代表する「知」を結集した沖縄師範学校女子部および沖縄第一高女の
女子生徒たち。15歳から19歳までの、まだ幼顔が残る少女たち222名と教師18名が
最前線の陸軍病院へと駆り出されました。その結果、136名もの尊い命がなくなりました。
今の時代と比べてもしょうがないのはわかっていても、あの年齢ですべきことではないことを、
どんな気持ちでやり続けたのか、その気持ちを察すると息が苦しくなります。
資料館を回っていると、「なぜ、私たちはこんなに早く死ななければ、ならなかったのか」、
「もっと、勉強がしたい、遊びたい」と思い苦しみながら死んでいった彼女たちの
魂の叫びが聞こえてきます。
すっかり仕事を忘れ、一観覧者になった自分がそこにいました。でもいい、
沖縄で仕事をするなら、この事実を知らずに、仕事すべきでない。
その後、摩文仁の丘の「平和記念資料館」に行き、糸満を後にしました。
※写真は、米軍に追い詰められた民間人の多くが身を投げた「喜屋武(キャン)岬」です。